私は『当たり前』に頼っていました。
日本では前例があるものを好み、未知への干渉を拒みがちな風潮があるように思えます。
大学に行くのが『当たり前』
大学卒業後に就職するのが『当たり前』
結婚して子供を持つのが『当たり前』
一戸建ての家を建てるのが『当たり前』
どれも『当たり前』です。その言葉につきますし、それが多数派の意見なので安心です。
この考えに違和感を持てば腫物扱い。
それが日本人的な『当たり前』という言葉の使い方。
私も正直言うと、当たり前という眼鏡をかけて物事を考えてしまう人間でした。
当たり前眼鏡は度数が強く、他の選択肢がぼやけます 笑
そんな私が当たり前眼鏡をはずし始めたきっかけが奥さんとのプチ喧嘩でした。
ある日のプチ喧嘩の中で「私の当たり前とあなたの当たり前どっちが正解かなんて決まりはない。お互いが納得するしかない」と言われてなんかハッとしたことを覚えています。他人がどうこう関係なく、当事者間が分かっていればいいことをイチイチ当たり前という言葉に逃げるな!と言われた気がしました。(しかも妻の言うとおりにしたらいい感じの結果になりました・・・笑)
これからは今まで当たり前じゃなかったことが『当たり前』になっていく
多分、日本人って他の国の人に比べてスペックめちゃ高いと思います。
鎖国して他の国の文化や考え方を浸透させずに、言語も日本語だけ、いろんな書物も日本語だけでここまでの経済大国を作り上げちゃいますし。(その分当たり前という文化も他の国よりも根強く浸透した気がしますが)
ただ、その成長も鈍化してきてやっと他の国の考え方などが世間一般に浸透しだして、それに伴って少数派だった人たちの考え方がSNSなどで拡散し今まで「当たり前」の影にいた別の選択肢も出てくるようになりました。
今後も「当たり前」という考え方自体はなくならないと思います。
ただ、今まで一つの答えしかなかった「当たり前」が複数解用意されて自分にあった「当たり前」を選んでいけばいいのかなと思います。
大学に行くのが『当たり前』かもだし、行かないのも「当たり前」
大学卒業後に就職するのが『当たり前』かもだし、就職しないのも「当たり前」
結婚して子供を持つのが『当たり前』かもだし、夫婦だけなのも「当たり前」
一戸建ての家を建てるのが『当たり前』かもだし、ずっと賃貸も「当たり前」
そんな世の中になっていけば、より一層よい世の中になっていく気がします。
『当たり前』がない人って強い
前述では 「当たり前」が複数解になっていくと記載しましたが、「当たり前」の概念がない人って強いなって思います。
誰しも自分の当たり前ってどうしても持ってしまうと思いますが、そう考えてしまうということはこれが正解であり間違えではない、間違えたくないという気持ちの裏返しじゃないかなと思います。
でも、『当たり前』とか関係なく選択ができる人って自分のWANTに忠実なんだと思います。多分、この人は失敗しても良いと思える人なんだと思います。
そういった人がゆくゆくは次世代の『当たり前』を創っていくんだと思います。
本人はその気はないでしょうが。
話がまとまりませんが、とりあえずは『当たり前』という考え方は捨てて、自分が納得できる答えを導き出していける人になりたいと思います。