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優しい暴力という名の期待から生まれる良い子な日本人とは

今の日本では「自分らしさ」を持っている人は憧れの対象です。

書店に行けば「自分探し」「やりたいこと」「自分の強み」「自分を知ろう」などの言葉が混ざったタイトルの本のコーナーが設けられ売られています。グーグル先生がなんでも教えてくれる世の中で自分についてわからない人が増えているということでしょうか?

大体そういった本を買う人は「良い子」です。型破りな自分らしさを持つ人に憧れて買います。自分もどちらかというと買う側です。

昭和・平成・令和と時代が進むにつれて様々な生き方の選択肢が増えて人間の生物としての本能は壊れていきます。動物は本能に従い食べて、寝て、生殖して、子孫を残します。昔の日本は武士は武士、農民は農民として生きる。男は男らしく、女は女らしく生きる。選択肢が少ない分、本能に近い生き方をしてきました。

でも今は令和です。色々な選択肢があり、許されます。農家だから将来、農家になる必要はありません。男だから、女だからという考え方もナンセンスと思う人も増えてきています。【『私』だから】という単位で考えることが今の主流であり、それに対応できる人が自分らしさを持ち、できない人・苦手な人が本を買う傾向にあると思います。

結婚すれば「子供を産む」、これも今までは当たり前の行いであり本能に近い存在でした。

でも今は令和です。「子供を産まない」という人生の選択もあります。「子供を産む」という選択肢もあります。昔の人たちは本能的に成していたことを今の人たちは選ぶことが出来る世の中です。

子供を産むことを自ら選択し選んだ女性は、子育て中にやりたいことがたくさんあります。子供に習わしたいことがたくさんあります。こういう子になってほしい、こんな子と結婚してほしい。という願望が昔の人よりもあると思います。

なぜかというと、自分で選んだから。

親からの期待値が高ければ高いほど親の期待に応えようと生きて、子は次第に自分で選択する能力が弱まっていく気がします。期待という名の優しい暴力です。

そうするといざ【私】という軸で物事を決める必要がある時に「自分らしさとは」が分からなくて本を買いに行きます。書店に行けば「自分探し」「やりたいこと」「自分の強み」「自分を知ろう」などの言葉が混ざったタイトルの本のコーナーが設けられ売られています。大体そういった本を買う人は「良い子」です。