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人はなぜインスタに投稿したがるのか?いいねを求めるのか?

旅行に行けばインスタ投稿、ごはん屋に行けばインスタ投稿、友達に会えばインスタ投稿。

今の世の中、私たちの生活とインスタは切っても切り離せないものになりつつあります。

かくいう私もその一人かもしれませんが、何故ここまでして私たちは自分の日常をインスタへ投稿したくなるのでしょうか?

その根源にあるのが『承認欲求』です。
すでに多くの人が知る言葉ですが、私たち人が他者の承認を求める理由を整理しながら、今の人たちがインスタホリックになりつつある原因について考察していきます。

 

人が他者からの承認を求める理由

『人間だから』です。

人間には「生理的欲求」と「承認欲求」の2つの欲求があります。

生理的欲求・・・「食欲」「性欲」「睡眠欲」
承認欲求・・・自分の存在を認めてほしい

生理的欲求は動物にもあります。生きるために食べて・寝て・繁殖をする。「生きること」が最大の目的であり、それを阻害するようなことは基本的にしません。人にも生理的欲求があるので、食べて・寝て・繁殖をします。この時点では人も動物も変わりありません。

ただ、人は時に名誉のために怪我を恐れずに戦います。食欲を我慢して敢えて瘦せようとします。睡眠時間を削って勉強をします、働きます。ルールを守るために性欲を我慢します。これらのことは単純に「生きる」ためだけなら必要のないことです。でも、人は自己価値の承認のために生理的欲求に反した行動を行います。「生きること」の他に「生きる意味」も人間にとっては大切なことです。生きる意味なんて普段の生活の中で真剣に考えている人の方が少ないと思いますが、他人から様々な形で承認されていることで自然と自分の価値、存在する意味が形成されています。そのため、時に生きる意味を失うと自ら命を絶ってしまうことも動物ではなく人間であるからこその行動なのかもしれません。

だからこそ、人が他者からの承認を求める理由は「人間だから」といえるのではないでしょうか。

承認欲求を構成する3つの承認~赤ちゃんから大人まで~

承認欲求には3つの承認段階があります。

・親和的承認・・・家族/恋人/親友など愛情と信頼関係に基づく承認
・集団的承認・・・クラスメート/会社の人など自分が所属する集団に基づく承認
・一般的承認・・・社会全般にわたって浸透している承認

親和的承認
家族、恋人、親友など愛情と信頼の関係にある人が優しく受け入れてくれる時、人は相手にとって自分が価値ある存在であることを実感することができる。ありのままの自分でいられる。

集団的承認
学校や会社など自分が所属する集団において、その集団が持っているルールや価値観に基づいて、その集団に属する人たちから価値ありと思われる行動や能力を身につけることで自分の価値を実感することができる。

一般的承認
世間や社会一般の人たちから価値ありと思われる行動や能力を身につけることで自分の価値を実感することができる。

人は赤ちゃんの時から大人になるまでの間でこれら3つの承認環境に身を置き、『一般的な他者の視点』を養っていくとされています。

一般的な他者の視点が成熟することで、自らの判断・行動を一般論に当てはめながら自己的に進めていくバランス感覚を持っていくことができます。

一般論ばかりを意識しすぎると成長しませんが、一方で自己的になりすぎるとよろしくない場合もあります。だからこそ、人は他者との関りを持つことが必要とされているのかもしれません。

“一般的には~”が嫌われ始めた令和

今の世の中“一般的にこうあるべき”という考え方はよろしくないと思われる傾向が強くなってきています。

「女性は早めに結婚するべき」「同性と付き合うべきではない」「大学に行くべき」「就職すべき」などなど今まで一般とされてきた考え方が今では口に出すことがナンセンスとされる世の中になってきました。いわゆるダイバーシティーな世の中です。

これこそが私たちのインスタ投稿を促進させている要因なのではないかと思います。

昭和/平成初期まではインターネットやスマホも普及していなく、日本が今まで維持してきた「一般」がまだまだ強く存在する世の中でした。特に日本は島国であるゆえに、他国の文化がミックスされにくく純度の高い「日本の一般」が維持されやすかったのかもしれません。

だからこそ、その時代に生きていた人たちは世間一般が価値を見出す行動や能力を身につけることで自分自身の承認欲求を満足させていました。この時点では明確な一般的承認の基準がありました。

しかし、インターネットが普及し誰もが一人一台スマホを持つようになり様々な文化や考え方が急速に浸透し、今まで日本が維持してきた「一般」の存在感が薄くなりました。そうなると人は一般的承認を通して自己の承認欲求を満たすことが困難になり、より分かりやすい集団的承認を通して自己の承認欲求を満たそうとするようになりました。

その集団を形成するのがSNSでいうフォロワーであり、より情報量高く発信可能なインスタを通して集団的承認を満たすようになっているのではないかと思います。

こういった動きは一般基準をまだまだ持ち続けている中高年層ではなく、一般基準を比較的持ち合わせていない若年層において活発なものかと思われます。

一般よりも自分が所属する集団の重要性が高まることで、集団のルールを重要視する意思行動が強まり集団内で同じような髪型/格好をする人たちや、グループ内での独自ルールからずれた人に対するいじめのようなものも増えているのだと思います。

ダイバーシティー的な考え方がスマートであり、一般を論ずることが好意的に思われない今ですが時に一般化された考え方も大切なのではないかと思います。

話が少しそれましたが、これらのことから私たちがインスタ中毒になりつつある理由としては「私たちが人間であるがゆえに自己の価値を明確にする他者からの承認を求めることはやめられない。しかし”一般的”な承認が弱まっているので、もう一段階近い”集団”からの承認を求めそのツールとしてインスタを活用している」と推測されるのではないでしょうか。

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